清涼飲料の文化史
食文化史研究家・西武文理大学客員教授
永山久夫
茶の湯の構造改革!? [秀吉の北野大茶会]
豊臣秀吉(一五三六〜一五九八年)はスケールの大きな人物だった。それまで武将や豪商などの独占だった茶の湯を庶民にまで開放したのである。
それが天正十五(一五八七)年に京都の北野松原(北野天満宮)で行われた大茶会で、いってみれば茶の湯の“構造改革”だった。
茶の湯に関心のある者は公家、大名、町人はもとより、百姓でも大歓迎というのだからビッグイベントだ。茶碗ひとつ釜ひとつでもよいからひっさげ、また「茶の無い者は、こがしでも苦しうないから持参せよ」というおふれが出された。こがしは麦こがしのこと。大麦を炒って粉にしたもので、湯で溶かして飲んだり、熱湯で練って食べた。今でも地方などでは作られており、こうばしくてうまい。
茶の湯の座敷は北野の松原で、座る序列は自由そのもの、当日は洛中洛外はいうに及ばず、奈良や堺からも集まり、大衆の数は何千人にもなったというから凄い。この茶会が茶の普及に果たした役割は非常に大きかった。茶のまったりとしたうま味はテアニンで、リラックス効果があり、これが当時の人たちに愛される背景のひとつになったのである。
イラスト:中川 学















